Jacks

ジャックスは、1960年代後半に活動した日本のサイケデリック・ロックバンド。活動当時は一般的な人気を得ることもなかったが、解散後、日本のロックの先駆者として評価を受けるようになった。   活動の記録 1965年夏 - 和光高校(東京都町田市)の同級生、早川義夫、高橋末広、松原絵里の3人が「ナイチンゲイル」を結成。これがジャックスの前身にあたる。 1966年夏 - フジテレビのフォークソング合戦にウィンドミルズの名称で出場。松原絵里が脱退。バンド名をジャックスに変更。 1967年1月 - 谷野ひとしが加入。 1967年5月 - 高橋末広が脱退し、木田高介、水橋春夫が加入。早川義夫(ボーカル)、水橋春夫(ギター)、谷野ひとし(ベース)、木田高介(ドラム)の4人による活動開始。 1967年7月 - 第1回「ジャックス・ショウ」開催(新宿・日立ホール)。 1967年9月 - ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで2位に入賞。 1968年3月 - シングル「からっぽの世界」でレコードデビュー。 1968年9月 - ファーストアルバム『ジャックスの世界』を発表。 1968年9月 - 水橋春夫が脱退。 1968年11月 - 角田ひろ(ドラム)が加入。木田高介はドラムから、サックスやフルート、ヴィブラフォンに替わる。 1969年7月 - 第5回「ジャックス・ショウ」のステージ上で解散を宣言。 1969年8月 - 第1回全日本フォークジャンボリーの出演を最後にジャックスは解散。 1969年10月 - セカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』が発表される。   ジャックスの音楽性 ジャックスの特徴は、若者の心の内面の悩みや葛藤を時には前衛的な言葉で表現する歌詞と早川の情念的な歌唱、そして、木田のジャズを指向した音作りにある。 当時の音楽界では、商業的に大衆の嗜好に焦点を合わせがちなグループ・サウンズと、直截的な歌詞と演奏が主体であったフォークソングが若者の間に支持されており、一部の熱狂的なファンを除き、ジャックスが一般的な支持を受けることはなかった。のちに早川は解散の理由について、「率直に言って、解散の最大の理由は売れなかったこと。もう少し売れていれば解散しなかったと思う」と述べている。 一線を画した独自の精神性や思想性のある音楽活動は、むしろ、演劇界におけるアンダーグラウンド(アングラ演劇)に近いものがあった。 しかし、プログレッシブ・ロックを思わせるジャックスの楽曲と活動は、後に、フォーク・クルセダーズ、はっぴいえんどと並んで、欧米の模倣ではない「日本のニューロック」に先鞭をつけたバンドとして再評価を受け、現在では高い評価を得ている。 なお、早川、高橋末広、谷野ひとし、また、作詞をした相沢靖子や柏倉秀美らは、彼らが在籍した和光高校の演劇の講師、平松仙吉が主宰する実験劇団、パルチ座の団員であった。   再評価 再評価の機運は1970年代末頃から始まった、東京ロッカーズを中心とした第一次インディーズブームの際に、多くのバンドが影響を受けたバンドとして、ジャックスの名前を挙げたことから始まる。特に、中心バンドの1つであったザ・スターリンのリーダーである遠藤ミチロウは強く影響を受けたことを何度も語っており、ジャックスの代表曲の1つであった「マリアンヌ」をパンク風にアレンジしてカバーしている(解散ライブ盤『FOR NEVER』に収録)。同じくインディーズシーンの雄であったAUTO-MODも「LOVE GENERATION」をライブのレパートリーに加えていた(この音源は'90年代に入ってからライブ盤として発売された。AUTO-MODの自作曲にも「LOVE GENERATION」という曲があることに注意)。インディーズシーンだけでなくメジャーフィールドでもダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドのライブ盤『海賊版:LIVE FIGHTING 80'S』にも「堕天使ロック」がカバー収録されており、ジャックスを知らない若い世代にその輪郭のみが伝えられた。 しかし、当時はレコードは全て廃盤となっていた上に、そもそも発売枚数が少なかったため(つまり売れていなかった)、非常に高額のプレミア付きで取引されており、完全に幻のバンドとなっていた。版権を所有していた東芝音楽工業(現 EMI Records Japan)に対して再発を希望する声は多く届いていたのだが、代表曲である「からっぽの世界」に、当時音楽業界が自主規制用語としていた「唖」(おし)という言葉が含まれていたため、決して再発されることはなかった。しかし、あまりの再発希望の多さについに東芝(エキスプレス)も重い腰を上げ、1985年、ベスト盤『Legend』を発売。結局、問題となった「からっぽの世界」の収録は見送られたのだが、待望された幻のバンドのベスト盤ということで、かなりの話題になり、売れ行きも好調だった。このことにより、『Echoes In The Radio(東芝EMI)』、『タクト・リコレクション(日本コロムビア)』(タクトから発売されたシングル2枚から「からっぽの世界」以外を収録したもの。のちに、『からっぽの世界 タクト・デイズ』として、完全な形で発売)、『リメインズ』(未発表曲集、のち『JACKS CD BOX』に収録)と様々な音源が発掘され発売された。しかし、「からっぽの世界」の含まれたオリジナルファーストアルバム『ジャックスの世界』は再発されず、セカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』も再発されなかった。 その後、『Echoes In The Radio』に使われたニッポン放送の「フォーク・ビレッジ」用に録音したスタジオライブ音源の権利が東芝ではなく、ニッポン放送にあることを知ったインディーズのSolid Recordsが、『Echoes In The Radio』に使用されなかった音源の中から、「からっぽの世界」を発売(のち『JACKS CD BOX』に収録)。オリジナルとは別テイクで、さらにインディーズからの発売ではあったが、ようやく「からっぽの世界」が再び日の目を見ることとなった(ここまでの発売は全てアナログ盤)。さらに、Solid Recordsは東芝との交渉に成功し(限定版にすることが条件だったといわれる)、当時発売可能と思われるジャックスの全ての音源を収録した『JACKS CD BOX』を1989年に発売。実に解散より20年の時を経てその全貌を表したジャックスは、日本のロック史におけるその位置を不動のものとした。

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Albums | Singles

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About Jacks :

ジャックスは、1960年代後半に活動した日本のサイケデリック・ロックバンド。活動当時は一般的な人気を得ることもなかったが、解散後、日本のロックの先駆者として評価を受けるようになった。   活動の記録 1965年夏 - 和光高校(東京都町田市)の同級生、早川義夫、高橋末広、松原絵里の3人が「ナイチンゲイル」を結成。これがジャックスの前身にあたる。 1966年夏 - フジテレビのフォークソング合戦にウィンドミルズの名称で出場。松原絵里が脱退。バンド名をジャックスに変更。 1967年1月 - 谷野ひとしが加入。 1967年5月 - 高橋末広が脱退し、木田高介、水橋春夫が加入。早川義夫(ボーカル)、水橋春夫(ギター)、谷野ひとし(ベース)、木田高介(ドラム)の4人による活動開始。 1967年7月 - 第1回「ジャックス・ショウ」開催(新宿・日立ホール)。 1967年9月 - ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで2位に入賞。 1968年3月 - シングル「からっぽの世界」でレコードデビュー。 1968年9月 - ファーストアルバム『ジャックスの世界』を発表。 1968年9月 - 水橋春夫が脱退。 1968年11月 - 角田ひろ(ドラム)が加入。木田高介はドラムから、サックスやフルート、ヴィブラフォンに替わる。 1969年7月 - 第5回「ジャックス・ショウ」のステージ上で解散を宣言。 1969年8月 - 第1回全日本フォークジャンボリーの出演を最後にジャックスは解散。 1969年10月 - セカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』が発表される。   ジャックスの音楽性 ジャックスの特徴は、若者の心の内面の悩みや葛藤を時には前衛的な言葉で表現する歌詞と早川の情念的な歌唱、そして、木田のジャズを指向した音作りにある。 当時の音楽界では、商業的に大衆の嗜好に焦点を合わせがちなグループ・サウンズと、直截的な歌詞と演奏が主体であったフォークソングが若者の間に支持されており、一部の熱狂的なファンを除き、ジャックスが一般的な支持を受けることはなかった。のちに早川は解散の理由について、「率直に言って、解散の最大の理由は売れなかったこと。もう少し売れていれば解散しなかったと思う」と述べている。 一線を画した独自の精神性や思想性のある音楽活動は、むしろ、演劇界におけるアンダーグラウンド(アングラ演劇)に近いものがあった。 しかし、プログレッシブ・ロックを思わせるジャックスの楽曲と活動は、後に、フォーク・クルセダーズ、はっぴいえんどと並んで、欧米の模倣ではない「日本のニューロック」に先鞭をつけたバンドとして再評価を受け、現在では高い評価を得ている。 なお、早川、高橋末広、谷野ひとし、また、作詞をした相沢靖子や柏倉秀美らは、彼らが在籍した和光高校の演劇の講師、平松仙吉が主宰する実験劇団、パルチ座の団員であった。   再評価 再評価の機運は1970年代末頃から始まった、東京ロッカーズを中心とした第一次インディーズブームの際に、多くのバンドが影響を受けたバンドとして、ジャックスの名前を挙げたことから始まる。特に、中心バンドの1つであったザ・スターリンのリーダーである遠藤ミチロウは強く影響を受けたことを何度も語っており、ジャックスの代表曲の1つであった「マリアンヌ」をパンク風にアレンジしてカバーしている(解散ライブ盤『FOR NEVER』に収録)。同じくインディーズシーンの雄であったAUTO-MODも「LOVE GENERATION」をライブのレパートリーに加えていた(この音源は'90年代に入ってからライブ盤として発売された。AUTO-MODの自作曲にも「LOVE GENERATION」という曲があることに注意)。インディーズシーンだけでなくメジャーフィールドでもダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドのライブ盤『海賊版:LIVE FIGHTING 80'S』にも「堕天使ロック」がカバー収録されており、ジャックスを知らない若い世代にその輪郭のみが伝えられた。 しかし、当時はレコードは全て廃盤となっていた上に、そもそも発売枚数が少なかったため(つまり売れていなかった)、非常に高額のプレミア付きで取引されており、完全に幻のバンドとなっていた。版権を所有していた東芝音楽工業(現 EMI Records Japan)に対して再発を希望する声は多く届いていたのだが、代表曲である「からっぽの世界」に、当時音楽業界が自主規制用語としていた「唖」(おし)という言葉が含まれていたため、決して再発されることはなかった。しかし、あまりの再発希望の多さについに東芝(エキスプレス)も重い腰を上げ、1985年、ベスト盤『Legend』を発売。結局、問題となった「からっぽの世界」の収録は見送られたのだが、待望された幻のバンドのベスト盤ということで、かなりの話題になり、売れ行きも好調だった。このことにより、『Echoes In The Radio(東芝EMI)』、『タクト・リコレクション(日本コロムビア)』(タクトから発売されたシングル2枚から「からっぽの世界」以外を収録したもの。のちに、『からっぽの世界 タクト・デイズ』として、完全な形で発売)、『リメインズ』(未発表曲集、のち『JACKS CD BOX』に収録)と様々な音源が発掘され発売された。しかし、「からっぽの世界」の含まれたオリジナルファーストアルバム『ジャックスの世界』は再発されず、セカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』も再発されなかった。 その後、『Echoes In The Radio』に使われたニッポン放送の「フォーク・ビレッジ」用に録音したスタジオライブ音源の権利が東芝ではなく、ニッポン放送にあることを知ったインディーズのSolid Recordsが、『Echoes In The Radio』に使用されなかった音源の中から、「からっぽの世界」を発売(のち『JACKS CD BOX』に収録)。オリジナルとは別テイクで、さらにインディーズからの発売ではあったが、ようやく「からっぽの世界」が再び日の目を見ることとなった(ここまでの発売は全てアナログ盤)。さらに、Solid Recordsは東芝との交渉に成功し(限定版にすることが条件だったといわれる)、当時発売可能と思われるジャックスの全ての音源を収録した『JACKS CD BOX』を1989年に発売。実に解散より20年の時を経てその全貌を表したジャックスは、日本のロック史におけるその位置を不動のものとした。

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