日野 皓正

小档案 ジャズとファッションは、昔から常に相互性をもっている。――日本ジャズ界に新しい"ファッション"(ヴィジュアル)をもち込んだプレイヤーが日野皓正だ。60年代末から70年代にかけて既にファッション・モデル扱いでメンズ雑誌の巻頭を飾っていたり、ポスターにまでなったりで、まさに「カッコイイ」男の象徴だった。 小简介    日野は42年10月25日生まれ、東京出身。実弟は、日本のトップ・ドラマー、故・日野元彦である。2人は幼い頃より、ミュージシャン(ドラマー、タップダンサー)であった父から、音楽におけるエンターテインメントの重要性を厳しく身体にたたきこまれた。トランペットは9歳の時から始め、タップダンスの技は父から譲り受けたものである。そして、13歳から米軍のキャンプ廻りで腕を磨く。青春時代は、当時親交の深かったピアニストの菊地雅章らと「新世紀音楽研究所」に参加。新たなジャズの息吹を体感する。その時の若き演奏は『幻の銀巴里セッション』に聴かれる。 64年には白木秀雄クインテットに迎えられ、翌年、このユニットでベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演。日本のジャズ・トランペッターとして高い評価を得る。67年に自己の初リーダー・アルバム『ALONE, ALONE AND ALONE』を発表。68年、菊地雅章と双頭コンボを作り、注目されたが、菊地の渡米により解散。後に日野は自己のコンボにより、代表作『HI-NOLOGY』を吹き込み、映画音楽の分野でも活躍する。75年には家族でニューヨークへ移り住み、活動の場をさらに広げる一方、ギル・エヴァンスのオーケストラにも参加。以降は、毎年コンスタントにアルバムを制作している。 日野のスタイルはルイ・アームストロングやマイルス・デイヴィスをルーツにしており、アップ・テンポにおける切れ味の鋭いスリリングなプレイと、バラードにおけるソフトで温かい音色は、長い音楽生活で鍛え上げられた年季を感じさせる。 (山本晋平)(リッスンジャパン) 大事件 1942年10月25日東京生まれ。 タップダンサー兼トランペッターであった父親より、4歳からタップダンス、9歳からトランペットを学び始め、13歳の頃には米軍キャンプのダンス・バンドで活動を始める。 1964年、白木秀雄クインテットに参加し、1965年ベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演し喝采を浴びる。 1967年、初リーダー・アルバム『アローン・アローン・アンド・アローン』をリリース。 1968年、菊地雅章との双頭ユニット日野=菊地クインテットを結成、録音。 1969年、『ハイノロジー』をリリース後、マスコミに“ヒノテル・ブーム”と騒がれるほどの絶大な注目を集める。 1972年、ニューポート・ジャズ・フェスティバル出演。 1975年、N.Y.に渡り居を構え、ジャッキー・マクリーン、ギル・エバンス、ホレス・シルバー、ラリー・コリエルなどと活動を重ねる。 1979年、『シティー・コネクション』、1981年『ダブル・レインボー』、とたて続けに大ヒットアルバムをリリース。 1982年、『ピラミッド』をリリースし、武道館を含む全国ツアーを行う。 1984年、ロサンゼルス・オリンピック・アートフェスティバルに出演。 1989年、ジャズの名門レーベル“ブルー・ノート”と日本人初の契約アーティストとなり、第1弾アルバム『ブルーストラック』は、日本はもとより、アメリカでも大好評を博す。 1990年以降、自身の夢である「アジアを1つに」という願いを込め、アジア各国を渡り歩き、探し集めたミュージシャンと結成した《日野皓正&ASIANJAZZ ALLSTARS》で、1995~96年に北米-アジアツアーを行う。 1995年、日野=菊地クインテットによる『アコースティック・ブギ』《日本ジャズディスク大賞 金賞受賞》をリリースし、Mt.Fuji Jazz Festival他、ブルーノート・ツアーを行う。 1997年、台湾での「第16回国際芸術祭」、シドニーでの「日豪友好100周年記念コンサート」に出演。 2000年、大阪音楽大学短期大学部客員教授就任。 2001年、インド、パキスタンにて公演の他、西インド地震災害チャリティコンサート、そしてカンボジアでも子供たちのためのチャリティコンサートを行う。 アルバムは『D・N・A』をリリースし、レコーディング・メンバーにて全国ツアーを行う。このD・N・Aプロジェクトは芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。 2004年、紫綬褒章受章。また約20年ぶりに映画音楽を手掛け、〔『透光の樹』主演:秋吉久美子、監督:根岸吉太郎〕サウンド・トラックは文化庁芸術祭レコード部門 優秀賞、毎日映画コンクール 音楽賞受賞。 2007年、盟友 菊地雅章(pf)との、日野=菊地クインテット『カウンターカレント』、デュオ・アルバム『エッジス』を発売。 《『エッジス』日本ジャズディスク大賞 銀賞受賞作品》 最新アルバムはレギュラークインテットによる2008年11月リリースの『寂光』。《ジャズディスク大賞 日本ジャズ賞受賞作品》 ジャズシーンを代表する国際的アーティストとして国内外にて精力的に公演を行うと同時に、近年は個展や画集の出版など絵画の分野でも活躍が著しい。またチャリティー活動や後進の指導にも情熱を注いでいる。 《NPOグローバルスポーツアライアンス理事》 《スペシャルオリンピックス スペシャル・サポーター(http://www.son.or.jp/)》 《東京青山ロータリークラブ 名誉会員》 《大阪音楽大学短期大学部 客員教授》

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Tentang 日野 皓正 :

小档案 ジャズとファッションは、昔から常に相互性をもっている。――日本ジャズ界に新しい"ファッション"(ヴィジュアル)をもち込んだプレイヤーが日野皓正だ。60年代末から70年代にかけて既にファッション・モデル扱いでメンズ雑誌の巻頭を飾っていたり、ポスターにまでなったりで、まさに「カッコイイ」男の象徴だった。 小简介    日野は42年10月25日生まれ、東京出身。実弟は、日本のトップ・ドラマー、故・日野元彦である。2人は幼い頃より、ミュージシャン(ドラマー、タップダンサー)であった父から、音楽におけるエンターテインメントの重要性を厳しく身体にたたきこまれた。トランペットは9歳の時から始め、タップダンスの技は父から譲り受けたものである。そして、13歳から米軍のキャンプ廻りで腕を磨く。青春時代は、当時親交の深かったピアニストの菊地雅章らと「新世紀音楽研究所」に参加。新たなジャズの息吹を体感する。その時の若き演奏は『幻の銀巴里セッション』に聴かれる。 64年には白木秀雄クインテットに迎えられ、翌年、このユニットでベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演。日本のジャズ・トランペッターとして高い評価を得る。67年に自己の初リーダー・アルバム『ALONE, ALONE AND ALONE』を発表。68年、菊地雅章と双頭コンボを作り、注目されたが、菊地の渡米により解散。後に日野は自己のコンボにより、代表作『HI-NOLOGY』を吹き込み、映画音楽の分野でも活躍する。75年には家族でニューヨークへ移り住み、活動の場をさらに広げる一方、ギル・エヴァンスのオーケストラにも参加。以降は、毎年コンスタントにアルバムを制作している。 日野のスタイルはルイ・アームストロングやマイルス・デイヴィスをルーツにしており、アップ・テンポにおける切れ味の鋭いスリリングなプレイと、バラードにおけるソフトで温かい音色は、長い音楽生活で鍛え上げられた年季を感じさせる。 (山本晋平)(リッスンジャパン) 大事件 1942年10月25日東京生まれ。 タップダンサー兼トランペッターであった父親より、4歳からタップダンス、9歳からトランペットを学び始め、13歳の頃には米軍キャンプのダンス・バンドで活動を始める。 1964年、白木秀雄クインテットに参加し、1965年ベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演し喝采を浴びる。 1967年、初リーダー・アルバム『アローン・アローン・アンド・アローン』をリリース。 1968年、菊地雅章との双頭ユニット日野=菊地クインテットを結成、録音。 1969年、『ハイノロジー』をリリース後、マスコミに“ヒノテル・ブーム”と騒がれるほどの絶大な注目を集める。 1972年、ニューポート・ジャズ・フェスティバル出演。 1975年、N.Y.に渡り居を構え、ジャッキー・マクリーン、ギル・エバンス、ホレス・シルバー、ラリー・コリエルなどと活動を重ねる。 1979年、『シティー・コネクション』、1981年『ダブル・レインボー』、とたて続けに大ヒットアルバムをリリース。 1982年、『ピラミッド』をリリースし、武道館を含む全国ツアーを行う。 1984年、ロサンゼルス・オリンピック・アートフェスティバルに出演。 1989年、ジャズの名門レーベル“ブルー・ノート”と日本人初の契約アーティストとなり、第1弾アルバム『ブルーストラック』は、日本はもとより、アメリカでも大好評を博す。 1990年以降、自身の夢である「アジアを1つに」という願いを込め、アジア各国を渡り歩き、探し集めたミュージシャンと結成した《日野皓正&ASIANJAZZ ALLSTARS》で、1995~96年に北米-アジアツアーを行う。 1995年、日野=菊地クインテットによる『アコースティック・ブギ』《日本ジャズディスク大賞 金賞受賞》をリリースし、Mt.Fuji Jazz Festival他、ブルーノート・ツアーを行う。 1997年、台湾での「第16回国際芸術祭」、シドニーでの「日豪友好100周年記念コンサート」に出演。 2000年、大阪音楽大学短期大学部客員教授就任。 2001年、インド、パキスタンにて公演の他、西インド地震災害チャリティコンサート、そしてカンボジアでも子供たちのためのチャリティコンサートを行う。 アルバムは『D・N・A』をリリースし、レコーディング・メンバーにて全国ツアーを行う。このD・N・Aプロジェクトは芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。 2004年、紫綬褒章受章。また約20年ぶりに映画音楽を手掛け、〔『透光の樹』主演:秋吉久美子、監督:根岸吉太郎〕サウンド・トラックは文化庁芸術祭レコード部門 優秀賞、毎日映画コンクール 音楽賞受賞。 2007年、盟友 菊地雅章(pf)との、日野=菊地クインテット『カウンターカレント』、デュオ・アルバム『エッジス』を発売。 《『エッジス』日本ジャズディスク大賞 銀賞受賞作品》 最新アルバムはレギュラークインテットによる2008年11月リリースの『寂光』。《ジャズディスク大賞 日本ジャズ賞受賞作品》 ジャズシーンを代表する国際的アーティストとして国内外にて精力的に公演を行うと同時に、近年は個展や画集の出版など絵画の分野でも活躍が著しい。またチャリティー活動や後進の指導にも情熱を注いでいる。 《NPOグローバルスポーツアライアンス理事》 《スペシャルオリンピックス スペシャル・サポーター(http://www.son.or.jp/)》 《東京青山ロータリークラブ 名誉会員》 《大阪音楽大学短期大学部 客員教授》

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